母校・中央大学に望むことは自分の役割を全うする人材の育成

白門人(はくもんびと)インタビュー

各界で活躍する“白門人”インタビュー。今回は、東京都庁でオリンピック・パラリンピック準備局長を務め、現在は聴覚障害者のデフリンピックを担当する東京都スポーツ文化事業団と東京都体育協会の各理事長となっている塩見清仁氏にご登場いただきました。

交通局、オリパラ、知事交代……
紆余曲折の役人人生

高橋 本日はお忙しいところ貴重な時間を割いていただき、ありがとうございました。塩見さんは東京都の職員として現場を含めてさまざまな部署を歩き、要職に登りつめられました。私の目には理想的な経歴と映ります。大学卒業後、定年まで勤め上げた都でのお仕事について振り返っていただけますか。

交通局、オリパラ、知事交代……紆余曲折の役人人生
塩見 都庁に入庁し、最初に交通局に配属されました。現場は、都営地下鉄新宿線で市ヶ谷駅務区管内の新宿三丁目駅から九段下駅に勤務し、それらの駅で昔でいうところの助役の仕事ですね。泊まり勤務でした。鉄道ファンだったらたまらない仕事だと思うんですけど、私はそんなこともなかったので、都庁に入ってなんで電車の仕事をしているのかなという感じはありました。
 それから都営大江戸線、当時12号線と呼んでいましたが、それを建設していくための認可や補助金をどうしていくかという部署に配属され、毎日のように運輸省へ行ったり、自治省へ行ったり。まったくのヒラでしたが、国との折衝みたいなことを一生懸命取り組みました。当時都営地下鉄は大変な赤字でした。赤字は膨らむばかりで、既設の新宿線の延伸は止めて埋め戻した方がいいのではないかという議論までされていたんです。
 その後、財務局主計部へ。そこでたまたま管理職試験に受かり、次に自治省に出向。それから港区役所の教育委員会で青少年係長として青少年健全育成の仕事をして、その後管理職になる手前には、都の人事部で幹部人事を3年半ぐらい担っていました。当時はまだ鈴木(俊一)都政で、政治にあまり翻弄されることもなく、役人の矜持を持ちながら仕事をしました。

高橋 それから管理職に。

塩見 管理職になって、児童相談所の保護課長。次に歴史文化財団の総務課長ということで、文化の仕事。江戸東京博物館とか写真美術館では赤字が出ていて、その時、石原(慎太郎)都政が誕生して、何でこんなものが必要なんだみたいなハコモノ批判が非常に強くありました。
 それからすぐ本庁に戻って石原行革を担い、交通の財務課長を経て、都の官房局で、当時知事本局といいましたが、そこの総務課長に就き、部長に昇任して、しごと財団で雇用の仕事や行政部で都区制度改革などの仕事をしました。公務員はさまざまな領域の経験が求められるため、いろいろな部署で仕事ができることが魅力といえば魅力ですけど、まあいろいろな仕事をしましたね。
 その後、中央卸売市場管理部長として築地市場移転問題に当たったのち、久しぶりに交通に戻って次長を経て交通局長に。知事がどんどん変わる時期で、平成28(2016)年、舛添(要一)知事の時に東京オリンピック・パラリンピック準備局長に異動になり、同じ年の夏に小池(百合子)知事に変わって、その後はオリパラを外れて生活文化局長。まあ、紆余曲折ののち、最後は主税局長で退職しました。

コロナ禍のどん底で、はとバス社長
次はデフリンピック成功をめざす

高橋 都という大きな組織の中、多彩なフィールドで活躍されましたね。退職されて、はとバスの代表取締役に就任したのはコロナ禍の真っ只中だったとか。

インタビュー 高橋 雅行

インタビュー 高橋 雅行
(学員時報編集長代行・学員会副会長)

塩見 令和2(2020)年9月25日から令和4(2022)年3月いっぱいですから、非常に厳しい時期でした。人流が悪者にされて、交通、観光、飲食、宿泊は大きな打撃を受けました。コロナの終束が見えずに、いつまでも社会が動かない、経済が動かない。ガイドさんや従業員の雇用を守らなければならないのに、どこまで落ちるかわからないどん底へと落ちていく感じがしました。そんな時に、ちょうどNHK朝の連続テレビ小説「エール」を見ていて、古関裕而さんの話ですが、俳優の吉岡秀隆さんが『長崎の鐘』を著した永井隆博士役で出てきて「どん底に大地あり」という趣旨の言葉を言うんです。どん底まで落ちても大地があれば、自分の足で立てる。人のせいにしないでね。その言葉も励みになって、この時期のはとバスは、どん底で踏ん張ってなんとか生き残った感じです。ただ、民間企業ですから経費の見直しなど、思い切ったことはできましたし、やりがいはありました。

高橋 そのようなコロナ禍のもとで、東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。東京オリンピック・パラリンピック準備局長としてご苦労された経験もふまえ、本番をどうご覧になりましたか。

塩見 緊急事態宣言の中での大会として、あれだけの規模の大会を開催できたというのはよかったなとは思うんです。一方で、無観客だったわけですよね。そのことは非常に残念だったなと思います。やはり子供たちにテレビではなく、じかに見てもらいたかったですね。オリンピックには色々な競技があって、テレビで放映されるのはメダル獲得が期待できたり、人気のある競技に限られる。観客が埋まらないような競技もあったはずで、そんな競技会場を子どもたちに開放するような機会も作れたでしょうから、その点は残念でした。

高橋 現在は、東京都スポーツ文化事業団と東京都体育協会の各理事長という立場ですが、スポーツに対してはどのような思いを抱いておられますか。

東京都スポーツ文化事業団と東京都体育協会の各理事長
塩見 オリンピック・パラリンピックでもそうでしたが、今年行われたWBCを見ても、みなさん、改めてスポーツの力を再確認したと思うんですね。夢を与えてくれる。スポーツには、する、見る、ボランティア等で支える、とさまざまな側面があると思うんです。自分でできる範囲で楽しめればいいと思います。
 中央大学の話をすると、僕は、見るスポーツが本当に好きで、特に中大生や卒業生が出場するものは見ますね。プロ野球でも中央大学出身の選手が活躍すれば嬉しいし、もちろん他のスポーツでも中央大学出身というだけで気になる。箱根駅伝も毎年応援しています。大学野球の東都リーグもネット中継で見ますよ。愛校心のきっかけになりますね。
 東京都スポーツ文化事業団は、東京体育館、駒沢オリンピック公園総合運動場、東京武道館、東京アクアティクスセンターの指定管理者として館の運営を行なっています。スポーツは、政策として振興している面もあるので、オリンピック開催のために造った施設が黒字を出すのはなかなか難しいんですが、より多くのお客さんに使ってもらいたい。
 一方、東京都体育協会は地区体協、各区市町村の体協と、東京都の種目別の競技連盟の束ねみたいな感じです。だから国体、全国大会に出るレベルの選手育成から、地区のスポーツ少年団とか、地域でスポーツを楽しむ人達のためのスポーツ振興をするわけですね。諸外国では、地域に根ざしたクラブチームでスポーツをするパターンが多いと思いますが、日本では中学校、高校を卒業するとスポーツをする場所が少なくなってしまう。プレイできる環境がちょっと弱いかもしれないので、その辺を整備し、どう根付かせるかというのが一つの課題かなと思っています。

高橋 令和7(2025)年11月に開催が予定されているデフリンピックは、東京都スポーツ文化事業団が担当されるのですね。

塩見 はい。デフリンピックは、4年に一度世界的規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会です。東京都スポーツ文化事業団が都との協定に基づき、その会場の運営だとか、競技の運営、あと輸送だとか宿泊を担当します。まだ知名度は低いですけれど、100年目を迎える大会、それも日本では初めて開かれる大会ですから、しっかり準備していきたいと思っています。

中大は中大らしく
日本をしっかり支える人づくりを

髙橋 ところで、塩見さんはどのような大学生活を送られたのですか。

塩見 私は大学に5年間いました。ですから、入学は昭和53年。多摩移転で最初に入学した組です。当時はまだ移転反対運動の余波や、それ以前の68・69学園闘争の名残がありました。私は文化連盟の辞達学会(弁論部)に所属していましたが、学友会も「仮執行体制」で、学内の各学生派閥の勢力争いもありました。学外の政治セクトも入り込んでいたりしていて、学友会公認サークルの執行部をやれば、そういう問題と無関係でいることはなかなかできない状態でした。私の役割は主にサークル内部をまとめることで、こうした混乱に巻き込まれず活動をやっていける体制づくりを、後世の学生たちのためにも、とも思って自分なりに一生懸命やりました。いまも学生時代の友人とは付き合いがありますし、サークルの後輩たちのイベントにも声をかけてもらうこともあります。でも、あの頃のことを思い出すと、今の自分がそこに出ていくのはどうなのか、などといろいろ考えてしまって、不義理をしている面もあります。

髙橋 大学のブランド力向上や地域振興を目的に、多摩都市モノレールの高架下を使った駅伝大会を開催するといったアイデアがあるようです。東京都で交通局やスポーツ事業にも携わってきた行政マンとしてのご意見を伺いたいのですが。

塩見 中央大学の主催とするか、都内の複数の大学が一緒になって開催するかなど、いろいろ案があっても面白いかもしれません。ただ、費用負担の問題、交通規制などでの人手の確保も必要で容易ではありませんね。イベントが利用者誘致につながると多摩都市モノレールが思えるような、魅力あるものにできるかも重要です。

中大は中大らしく、日本をしっかり支える人づくりを
髙橋 塩見さんは歴史豊かな福島県喜多方市のご出身。私は福島市出身。お会いするのは初めてですが、同郷の一人として塩見さんにはとても親近感を抱いてウォッチしてまいりました。同じ地方の育ちということで遠慮なくおたずねしたいのですが、地方の力量や人材を生かしたクニづくりのために中大生、卒業生は、今後どのようにその持ち味を生かすべきでしょうか。

塩見 そうですね。中大というとイメージ的にグローバルな感じはしなくて、ドメスティックなイメージの大学のような気がするんです。ただ、やはり今、日本が生きていく意味ではかなりグローバルに動いていかないといけないだろうなとは思いつつ、中大は中大らしく、日本の仕事をしっかり支えるような人材としてやっていてもいいのではないかとも考える。僕は、自分が全然グローバルな人間ではないので、そんなところに悩むわけです。
 でも、単純なことですけど、自分に与えられた仕事をしっかりやっていくということが大事だと思います。与えられた使命からは逃げずに、自分の役割を全うする。だから、中大生には、あらゆる場面で逃げない、ちゃんと自分が責任を取る、そういう人材が育つ大学であってほしいなというふうに思います。

髙橋 本日は学員時報編集長の学員会副会長・山本卓さんと学員時報編集委員の中川順一さんと一緒に塩見さんと有意義な時間を過ごせました。長時間、ありがとうございました。

歴史豊かな福島県喜多方市のご出身
白門人
塩見 清仁 氏

(昭58法)
塩見 清仁 氏
公益財団法人 東京都スポーツ文化事業団 理事長
公益財団法人 東京都体育協会 理事長

しおみ・きよひと
福島県喜多方市塩川町出身。会津高、中央大学法学部卒。昭和58(1983)年4月、東京都職員。中央卸売市場管理部長、交通局長、オリンピック・パラリンピック準備局長、生活文化局長、主税局長を歴任し令和2(2020)年7月に退職。はとバス社長を経て現職。

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