久野修慈名誉会長講話

学員の力で強い大学を創ろう
問題解決の18年間と学生時代の原体験

 久野修慈学員会名誉会長は2025年5月24日の学員会全国支部長会議における学員会長退任にあたって、18年間の会長在任を振り返り、多摩移転反対から始まった大学との関わりや学生時代の体験を語った。

諸問題の解決や調整で
大学や学員会の職に就く

 中央大学学員会は明治21(1988)年に花井卓三先生らによって設立され、中央大学の歴史と共に歩んできました。戦後の歴代学員会長は、東映の大川博社長が8年間、最高裁判所判事の谷村唯一郎さんが13年間、日本の戦後法曹界をリードされた堂野達也先生が7年間、法律家の大西保先生が14年間、国会議員で大臣を3回務められた中山正暉先生が3年間、そして私が18年間務めさせていただきました。
 私は本来、大学の仕事をするような者ではないと常々考えおりますが、その私が学員会や大学の諸々に関わるようになったのは、さまざまな事情からです。最初の関わりは中央大学の多摩移転問題でした。私の所属する南甲倶楽部のリーダーは、当時、大川さんとそごうの水島広雄さんたちでした。その方々は多摩移転に反対しており、私にも反対の先頭に立つように言われました。徹底的に反対しましたが、結果的に文系の全面移転が行われてしまいました。
 その後、今度は南甲倶楽部出身の評議員会議長の不用意な発言から紛糾し、その収拾のために私に評議員会議長をするようにと要請がありました。やむを得ず評議員会議長を引き受けることになりました。これが私の大学での仕事の出発点でした。そのような中で、大学の諸問題を解決し、さらに発展を図るためにと、大学の理事長にイトーヨーカ堂の鈴木敏文さんを推そうという声が上がりました。その頃の学員会会長の中山先生と私とが中心となって進めましたが、その間には、学員会の他のグループとの軋轢で7ヶ月間も理事長が決まらない状況も生じました。そして鈴木理事長が誕生しましたが、今度は、中山先生と鈴木さんの間で意見の相違があり、大喧嘩となってしまいしました。その結果、私たちの説得もむなしく中山先生が会長を降りてしまい、私が後任として学員会長を引き受けることになりました。それが、平成19(2007)年のことです。
 さらにその後、鈴木さんが理事長を辞められるということで、私は理事長職も受けることとなってしまったわけです。このように私は、もめ事が生じる中で、その解決や調整を依頼され、その中で学員会や大学の仕事を引き受けてきたということです。
 大学の仕事を通じ、私は資金問題や125周年の募金活動、ロースクールの定員枠獲得、横浜附属校の用地確保、法学部の都心展開などにおいて、相応の役割を果たしてきたと自負するところです。

学生時代の寮の体験が
社会に出て大いに役立つ

 学生時代、私は同郷・福井県出身の吉田久志先生から大きな影響を受けました。吉田先生は戦時下にあって、大政翼賛会選挙無効判決を下した裁判官です。法律家としての強い信念を持った方で、私の人生観に大きな影響を与えてくださいました。
 福井から上京した私は、学生寮で4年間を過ごしました。私が入学した昭和29(1954)年、中央大学の寮は板橋から下北沢に寮を移転し、新しい寮に約200人の学生が入居しました。私もその一人でしたが、検事長の息子、裁判官の息子などが多くいました。そういう家庭の子らでしたが、個性的というか、不良もたくさんいました。私は自然と寮生たちのまとめ役になっていました。喧嘩の仲裁をしたり、寮の規則を守らせたり、時には大学側との交渉役を務めたりしました。200人もの個性豊かな学生たちをまとめるのは容易ではありませんでしたが、様々な背景を持つ人々をまとめ、方向性を示していかねばならぬという経験が、後の人生で非常に役立ちました。
 社会人になって水産業界で働き、入社早々に南極に2回、北極に4回行きました。南極では捕鯨母船に乗りました。北洋ではサケマス母船で、ソ連の監視官が同乗する中での操業でした。中央大学卒業生で南極と北極の両方に行ったのは私だけではないでしょうか。水産業界は厳しい世界で、様々な困難な人々をまとめる仕事でした。まさに学生時代の寮生活で培った経験が活かされたわけです。

すべての学員の協力で
強い大学を作っていこう

 このように、私の社会人経験は魚屋から始まっています。それがさまざまな経緯で、大学に関わるようになったわけです。そして私なりに、さまざま問題の解決に取り組んでまいりました。
 これからの大学間競争に勝ち抜くため、中央大学は強い大学でなければなりません。そのためには、大学の経営陣が創立時の原点に立ち返り、新たな挑戦をしていくことが重要です。
 現在議論されている新学部設置についても、もっと早くから検討すべきだったのではと思いますが、とにかくしっかりとしたものを創ってほしい。その一つ、農業はとても大切な分野だと考えます。現在、農業、漁業、林業の専門高等学校の卒業生約3,000人のうち、その分野に進むのはわずか90名だと言われています。2,900人以上が他の道に進んでしまっています。私は仕事を通じ政府にも、これらの分野のリーダー育成に国家公務員並みの待遇を与えるよう提言しています。こうした大切な分野の学生を育成する大学にもなってくことは大いに期待したいと思っています。
 学員皆様には、時に厳しい意見もぶつけながらも、母校・中央大学の発展にご協力いただきますようお願い申し上げます。中央大学を長年愛し、心から応援していただいている皆さま方と一緒に、より良い大学を作っていきましょう。
 18年間、皆様本当にありがとうございました。そして、後任の芳井さんをよろしくお願いします。

学員会歴代会長氏名・在任期間

1高窪 喜八郎昭和25(1950)年12月~昭和28(1953)年8月
2林 頼三郎昭和28(1953)年8月 ~ 昭和33(1958)年5月
3柴田 甲四郎昭和33(1958)年5月 ~ 昭和34(1959)年5月
4佐藤 博昭和34(1959)年5月 ~ 昭和36(1961)年4月
5大川 博昭和36(1961)年4月 ~ 昭和44(1969)年5月
6谷村 唯一郎昭和44(1969)年5月 ~ 昭和57(1982)年5月
7堂野 達也昭和57(1982)年5月 ~ 平成7(1995)年5月
8大西 保平成7(1995)年6月 ~ 平成16(2004)年5月
9中山 正暉平成16(2004)年6月 ~ 平成19(2007)年5月
10久野 修慈平成19(2007)年6月 ~ 令和7(2025)年5月

第10代学員会会長に就任

平成19(2007)年、学員会会長に就任。「学員時報」紙面で「中大の伝統を新たに創造するために正面から取り組んでいく」と所信表明。 平成19(2007)年9月号掲載。

大学理事長として 125周年に臨む

平成22(2010)年11月13日、大学理事長として「世界に存在感のある大学になることを目指して、社会に貢献し、社会を豊かにし、思いやりをもって未来を描いていく」と式辞を述べた。 平成22(2010)年11月号掲載。

戦時のウクライナ大使と懇談

令和4(2022)年11月28日、学員会会長としてDr.セルギー・コルスンスキー特命全権大使との懇談。令和5(2023)年1月号掲載。

学員の農水大臣と鼎談

 令和6(2024)年6月24日、学員会会長として当時の坂本哲志農林水産大臣と鼎談。大学が農業系学部を構想していることを踏まえ、日本の農水産業について語り合う。 令和6(2024)年10月号掲載。

久野学員会名誉会長

(昭33法)
久野 修慈 氏
学員会名誉会長

ひさの・しゅうじ
福井県出身。昭和33(1958)年法学部卒業。戦時中の翼賛選挙を無効とした「気骨の判決」を下した大審院の吉田久判事の書生などを経て、同38(1963)年大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)入社。社外取締役だった白洲次郎の特任秘書、取締役、常務取締役を歴任し、同62(1987)年代表取締役専務。同61(1986)年大洋球団代表取締役社長、平成2(1990)年塩水港精糖代表取締役社長、同17(2005)年会長(現職)。同11(1999)年日本精糖工業会会長、同12(2000)年全国和菓子振興会会長。同15(2003)年4月~20(2008)年5月中央大学評議員会議長。同20(2008)年5月~26(2014)年5月中央大学理事。同20(2008)年5月~24(2012)年10月同理事長。令和7(2025)年5月、評議員26年11カ月の在任に対する「永年在任評議員」授彰。平成19(2007)6月~令和7(2025)年学員会会長、同7(2025)年6月より同名誉会長。平成18(2006)年に旭日中綬章受章。

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