8月からの2024パリ・パラリンピックに、中央大学水泳部の日向楓選手の出場が決まった。同選手の競技をサポートスタッフとして同行する上垣匠氏に、経緯と抱負について寄稿していただいた。
寄稿
パラ日本代表監督としての抱負
令和6(2024)年8月、フランス・パリにてパラリンピックが開催されます。私は東京大会に続き、パラ水泳の日本代表監督として選手22名と共に参加することになりました。パリ大会では有観客の中でパラリンピックの「可能性の祭典」を、見て、知って、楽しんでもらえるよう、世界中のチームと共に10日間の熱戦に挑みたいと考えています。
東京大会の結果を超えることは厳しいですが、選手達の躍動と最高のパフォーマンスを、観ていただく方々の記憶に刻めるよう挑む覚悟です。また、この大会では監督としてだけではなく、視覚障がい選手の競技をサポートする「タッパー」※としても参加します。東京大会では地元開催ということもあり、監督業に専念させていただきましたが、今大会では監督兼タッパーとして、選手達のパフォーマンスを一番近くでサポートすることになります。
※重度の視覚障がい選手に対して壁を知らせるためのサポートスタッフ。選手個々の泳ぎに合わせて、距離やタイミングを合わせて競技をサポートします。使用する競技用具は“タッピング棒”と呼ばれる釣り竿等を加工して先端に怪我をしない素材(発泡スチロールやボールなど)を取り付けて選手の頭や体をタップする。国によって様々なタッピング棒を使用しており、視覚障がい選手のレースでは個性溢れるタッピング棒に注目するとまた違った見え方や楽しみ方ができます。
中央大学水泳部での学び
私がパラ選手を指導する際の原点は、中央大学水泳部で学んだ科学的トレーニングです。私が平成5 (1993)年に中央大学に入学した時の日本の水泳界はまだ、昔ながらの忍耐を必要とするトレーニングが主流でした。当時、水泳部監督の吉村豊先生、高橋雄介コーチがアメリカで先行して進められていた科学的トレーニングを日本に持ち込み、日本の水泳界に“トレーニング革命”を起こそうとしていた最初の頃でした。大学2年生の時には、インターカレッジで初の総合優勝を果たし、その後の11連覇に繋がったことはまだ記憶に残っている出来事かと思います。その成功により、日本の水泳界に一気に科学的トレーニングが広まり、後のオリンピックにおいても数々のメダリストが誕生しています。中央大学での4年間で学んだ科学的トレーニングは今でも世界に通用するトレーニング理論であり、広く水泳界で実践されています。その後、令和3(2021)年12月にスポーツ庁から発出された『持続可能な国際競技力向上プラン』においても、基本的な方向性として「医科学情報の知見に基づく環境の整備」が掲げられており、水泳競技だけに限らず、スポーツ界全体としてそのような流れに変化してきていることからも、30年前にいち早く取り入れて来た中央大学の功績は大きいと感じます。
このような環境で競技に打ち込み、最新のトレーニング理論を学ばせていただいたことが現在のパラ選手の指導に繋がっており、指導者としての財産にもなっています。
パラスポーツとの出会い
私がパラスポーツと出会ったきっかけは、障がいを持った息子(上垣光。令4商)との関わりにあります。息子は722gという超低体重未熟児として、脳性麻痺を抱えて生を受けました。当時私は水泳指導の現場で仕事をしていたこともあり、自然な流れで障がい児の水泳指導にのめり込んでいきました。息子は幸いにもユースの国際大会にも参加するようになり、次第に私もパラ競泳に関わる時間が長くなりました。そんな中、当時の吉村豊名誉教授からお声がけいただき、息子が中央大学に入学すると同時に、私も東京2020パラに向けた強化スタッフとして上京することになりました。
息子が在籍した4年間は中央大学水泳部のパラ担当コーチも拝命し、長野凌生(視覚障がい/文)、永田宙大(身体障がい/商)の指導にも関わらせて頂きました。そして、令和6(2024)には日向楓(身体障がい/理)、上園温太(身体障がい/商)の2名が中央大学に入学することになり、日向楓についてはパリ2024の代表選手として出場することに決定しました。
中央大学水泳部の歴史の中で、パラリンピック代表選手の輩出は初めてであり、最初にパラ選手が入学してから7年目にして歴史的な年となりました。これによりオリ代表の池本選手とオリパラ揃って水泳部から出場することも初の出来事となります。これらの成果は中央大学が2017年より「ダイバーシティ宣言」を公表したことにより、多様な背景を持つ学生の環境整備にいち早く取り組み始めた成果とも言えます。
日本のパラ水泳の現在地
昨今のパラスポーツは、平成25(2013)年に東京2020の誘致が決定した後、平成26(2014)年にはパラスポーツの所管が厚生労働省から文部科学省に移り、翌年にはスポーツ庁が設置され、パラスポーツもオリンピックと同じスポーツとして取り組みが行われてきたことで、一気にハイパフォーマンスを求める方針に移行して来ました。
選手の取り巻く環境も一変し、オリパラ一体となったナショナルトレーニングセンターの新設や、スポンサーや国からの助成金の増加など、アマチュアスポーツでありながらトレーニングに専念できる環境が整って行きました。それにより、オリ選手と同レベルでのトレーニングが可能となり、これらの成果が東京2020で目に見えて現れました。
しかしながら、コロナにより競技者数の減少や民間や国の財源を圧迫したことで、令和4(2022)年以降はスポンサーの減少や国の助成金も厳しい状況となってきています。そもそも競技者数の少ないパラスポーツは競技団体の組織基盤が脆弱であるため、活動資金を選手の自己努力にも頼りながら強化活動を継続することができている状況です。これらはパラスポーツ全体として大きな課題であり、社会や組織にとってのパラスポーツのあり方を見直す時期に入っています。
パラ水泳では新たに中長期の果たすべき使命として、『水でつながり、世界が広がる』をテーマに、パラ水泳を「する」「見る」「支える」多様な人々が輝く社会を実現する、という目標を掲げて次の10年に向けて進めようとしています。
パラ水泳のトレーニング環境について
令和元(2019)年に私がパラ水泳の監督に就任した同じ年に、オリパラ共用のトレーニング施設として東京都北区西が丘に「ナショナルトレーニングセンター・イースト」通称“NTC-East“が新設され、最新のトレーニング施設を活用できる環境が整いました。パラ水泳はこの施設を強化拠点として位置付け、専門のコーチが常駐して日常トレーニングの指導をスタートし、それに合わせて、医科学サポートを充実させる取り組みとして、トレーナー・映像・バイオメカニクス・栄養・心理などを選手達が日常的に活用できる体制を整えました。
現在はこの拠点に常時10名程度のパラ水泳のトップ選手が集ってトレーニングを行っています。私達はこの拠点を『世界に誇れるパラ水泳の叡智』として、パラスポーツ特有の“唯一無二の泳ぎ”を突き詰めてハイパフォーマンスに相応しい強化拠点に育てていくことを目標としています。
パラ水泳の魅力とは
パラ水泳の魅力は何といっても、残された機能を最大限に駆使して最速を競い合う個性溢れる泳ぎです。例えば、パラ6大会出場の鈴木孝幸選手の障がいは、両脚が欠損しており、片方の腕は肘まで、もう片腕は指を欠損していますが、その障がいからは想像のつかない見事な泳ぎを繰り出します。全盲の木村敬一選手は、泳ぎのイメージが見えない中で技術の改善やフィジカルのトレーニングに取り組み、世界のトップレベルで君臨しています。
世界中には様々な障がいをもった選手がいますので、パラリンピックで様々な選手が一堂に介して競い合う姿は、正に“多様性の祭典”であり、オリンピックスポーツとは違った楽しみ方があります。もしパラリンピックを見られる機会がありましたら、選手達の背景を知ってから見られると、より楽しめると思います。
パリ・パラリンピックに向けて
パリ2024オリンピックパラリンピックに向けては東京2020の時とは違い、日本国内での社会的な逆風もなければ、自国開催の追い風もない、全くの“無風”状態で大会が迫っています。特にパラスポーツにおいては東京大会のレガシーを継承する使命感を持ちつつ、自らの力で追い風を起こすべく雰囲気の醸成に各競技が邁進しています。日の丸を背負った選手たちの活躍は、パラスポーツへの注目度や理解が促進されるきっかけになりますので、本当の意味での多様性やインクルージョンと言った考え方が、日常生活に定着していけるよう、これからも私はパラスポーツを通じた活動を続けて行きたいと考えています。
(平9経)
上垣 匠 氏
2024パラリンピック水泳競技日本代表監督
日向楓選手のパリパラリンピック出場予定 個人種目(日程)
8月30日(金)大会2日目S5クラス男子100m自由形
9月3日(火)大会6日目S5クラス男子50m背泳ぎ
9月5日(木)大会8日目S5クラス男子50m自由形
9月6日(金)大会9日目S5クラス男子50mバタフライ
大会直前になりましたら、一般社団法人日本パラ水泳連盟のHPでも出場選手や種目の紹介などを掲載する予定です。
URL https://team.paraswim.jp