学術講演会講演録
学術講演会は中央大学が学術研究の成果を社会に還元することを目的に、1962(昭和37)年から開催している講演会。講師は本学専任教員が担当し、中大関係者以外の一般市民も聴講でき、学員会支部と大学の共催も行われている。
中国古代史を専門とする阿部幸信教授が、身近なラーメンから人類史を読み解く。スープ麺はいつ、どこで生まれたのか。東アジアと西アジアの文化が交錯して生まれた麺文化の起源を探る。(国立市で2025年10月19日(日)に開催された学術講演会より。学員会国立支部共催。取材記事・学員時報)
身近なものから歴史を見る
身近なものから歴史を見るということを、私は授業でいつも強調している。歴史について考える意義の一つは、現在の生活を形作っているさまざまな文化や制度の源を探ることによって、現在の私たち自身に対する理解を深めることにある。
ラーメンを含むスープ麺というスタイルの食品は、世界中どこにでもあるものでもなく、人類がそんなに古い時代から食べていたものでもない。中国におけるスープ麺は、唐の終わり頃からおそらく宋の時代、今から約1000年ほど前に、中国の南方で基本的なスタイルが確立したものと考えられる。
スープ麺を構成する文化的要素を確認しておきたい。まずスープと麺がないと話にならない。しかしこれだけではスープ麺は食べられない。スープ麺を提供するにはどんぶりが必要だ。しかも素焼きの土器ではなく、うわぐすりをかけた陶磁器が出てくるということもスープ麺という文化が発生する上で重要な要素だ。また箸もスープ麺を食べる上では大事だ。スープ麺には東アジアだけではなく、人類全体の文化とつながる側面がある。
小麦と粉食の伝来
小麦は西アジア原産で、そこから世界に広がった。穀物の食べ方には粒のまま煮炊きする粒食と、粉にして食べる粉食がある。小麦は皮が硬く粒の中身が柔らかいため、粒のまま皮を除去することが難しい。そのため先にすりつぶして、後からふるいにかけて皮を除去する方が早いと考えられた。麦を粉にして食べる方が便利で美味しいと西アジアの人々は考えた。
一方、米は粒の中身が硬く、力を加えれば皮が外れるので、粒のまま皮を除去することが容易だった。中国では稲やその仲間をすべて粒のまま煮炊きするというのが新石器時代、普通のやり方だった。
紀元前3000年紀、今から5000年~4000年前に気候の寒冷化と乾燥化が起こり、西アジアで普及していた麦が中国の北部に導入された。しかし漢代くらいまで、麦は原則として粒のまま煮炊きして食べるのが一般的だった。
状況が変わるのが、今から1700年~1400年ほど前の五胡十六国から南北朝にかけての時代だ。この時期の東アジアは大きな気候変動期で現在よりぐんと寒かった。遊牧民の活動範囲が中国の北部にまで広がる。こうした遊牧民は中央ユーラシアの草原を通して西アジアとの文化交流が深く、小麦も粉にして食べた方が美味しいと知っていた。気候変動と遊牧民族の活動の広がりを通して、小麦を粉にして食べる食文化が中国の北部に定着した。
今から約1500年前に著された『斉民要術』(せいみんようじゅつ)という書物の中に、初めてはっきりと記録に見えるのが、小麦を粉にしたものを細長くして食べるという新しい食文化だ。小麦を粉にして塊にし、それをちぎって細長く伸ばし、指で潰しながらお湯に入れていくと、幅広の麺のようなものになる。
唐代に普及し宋代で完成
南北朝時代まで、小麦の粉食の普及は、富裕層の間にほぼ限られていた。その状況が一気に変わるのが唐の王朝の時代だ。唐という王朝は、遊牧民が建てて、遊牧文化の地域と黄河・長江の流域に展開する農耕地域を全部政治的に一つにした最初の王朝だ。遊牧民と農耕民の共働が進み、文化の融合も一段と進行した。この時代に遊牧民の食文化であった小麦の粉食がさらに拡大を見せ、庶民層にも広がっていった。その中で大型の石臼による製粉量の増大や小麦粉価格の低下、小麦の栽培面積の拡大が起こった。
粉食の一種であるスープ麺が広がるのが唐の滅んだ後、宋の時代で、特に中国の南方で普及定着した。宋の時代には商工業が盛んになり、製陶技術も一段と洗練されていく。特に燃料である木材を容易に獲得できる南方が重要な場所になる。唐の終わり頃から宋の時代には南方に次々と窯業の拠点が作られた。
宋の時代の文献には、都の開封で開かれていた麺食店は、中国の南の方から来た人たちに食べさせるものだったと書かれている。つまりスープ麺は先に南方で普及定着した。南宋と言われる時代、12~13世紀頃には、中国の南方に多種多様な種類のスープ麺があった。
なぜ南方でスープ麺の文化が先行したのか。南方にはスープを作るための豊富な水資源が存在しているということが重要だ。また陶磁器の大量供給も中国の南方でこの時期には可能になっていた。そしてもう一つ重要な要素が箸の存在だ。箸の起源も南方にあると言われている。こうした南方の自然環境や文化伝統が複合して、スープ麺という形を生み出した。
遊牧民族が小麦を粉にして食べるという文化を中国の北部に定着させたのち、それがスープ麺の形になるには、中国の南方の自然環境や文化の要素が加わっていかなければならなかった。つまり遊牧民族が西から持ち込んできた文化と長江流域の文化が出会って融合しなければ、麺類は出現することができなかった。麺類は世界帝国・唐が遊牧地と農耕地域を統一し、小麦を粉にして食べる文化を広く伝えていった結果、中国の南方で宋の時代に出てきた料理だから、麺は世界帝国の産物だと言って差し支えない。
インスタントラーメンの開発者・安藤百福氏が創業した日清食品は「人類は麺類」という広告コピーを作った。この言葉は麺類に内在する文化複合性をよく伝えている。私たちの生活の中に身近にあるもの、例えば麺料理一つをとってもこれだけの歴史的・地理的な背景の影響を受けて存在している。
中国における麺文化と日本における麺文化は違う。例えば中国では小麦が主役で、スープは従であるが、日本ではスープの役割が大きい。その違いの背景には、日中の麺文化がたどってきた歴史の差がある。そうした歴史を無視して、自分の常識を当たり前と思って他人を断罪したり、自分の価値観で相手を従わせようとすることほど危険なことはない。こうした話を聞いた後に、ラーメンを召し上がる時には、この背景には人類史の奥深い影響があったなと感じて、一味違うと思っていただければ幸いである。
主催者挨拶より

開会挨拶/知的スパイスで格別な味に
平本 聖子 氏 (国立白門会支部長。昭58法)
国立白門会が毎年この時期に中央大学の先生をお招きして学術講演会を開催している。今年の阿部先生の講演が終わった後でラーメンを召し上がるときは、知的・学術的スパイスで格別なお味がするのではないかと思っている。
閉会挨拶/ラーメンから人類史を学ぶ
重野 和夫 氏 (国立白門会顧問。昭33理工)
ラーメンという身近なものから、これほど深い人類史の話が聞けるとは思わなかった。小麦の伝播から麺の形成、そしてスープ麺の完成に至るまで、さまざまな文化が複雑に絡み合っている様子がよくわかった。歴史を知ることの意義を改めて感じた。


講演者
阿部 幸信 氏
中央大学文学部 教授
あべ・ゆきのぶ
1972年、国立市生まれ。東京大学文学部歴史文化学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程修了。福岡教育大学教育学部助教授、日本女子大学文学部准教授等を経て、2009 年より現職。専門は中国古代史。中国の秦漢時代から隋唐の時代の天下秩序、政治思想、官僚制度等を研究。趣味は園芸、漫画・アニメ、食べ歩き。
