世界で戦うために必要なのは「自分で考える力」

白門人(はくもんびと)インタビュー

各界で活躍する“白門人”インタビュー。今回は、父娘共に中央大学フェンシング部出身でオリンピアンというお二人にお話を伺いました。

自分の意思で楽しくのびのび練習

―――美咲さんがフェンシングを始めたのはお父さまからに勧められてですか。

江村美咲(以下、美咲) フェンシングを始めるときも自分で決めましたし、父から練習を強制されたことも一度もありませんでした。自分の意思で楽しくのびのびと練習をさせてくれたからこそ、今も続けられているのかもしれないと思うことがあります。

―――美咲さんが「一番強い自分は勝敗にとらわれず真剣勝負を楽しんでいる自分だ」とおっしゃっている場面を拝見しました。

美咲 私は元々メンタルコントロールがうまくありません。以前、調子が悪い時に「負けてもいいから試合を楽しもう」という気持ちで試合に出たことがあったのですが、緊張感がなさすぎてすごく質の低い試合になってしまいました。その反省から、次に「負けたら死んでしまうくらい自分を追い込んでやってみよう」と試合に出たことがあります。緊張もしたし、いいプレイもできたんですが、どこかに硬さがある。勝ちたい気持ちが強すぎて、動きだけでなく頭に硬さが残ってしまい、冷静さも欠く場面もありました。そんな経験から学び、至った思いです。

「一番強い自分は勝敗にとらわれず真剣勝負を楽しんでいる自分だ」

江村宏二(以下、宏二) やらされたと思って練習したのでは上達しませんね。私の時代とは何もかも異なりますからね。私の時代はとにかく根性論。勝つためには人より練習する。私自身、メンタルの弱いところは練習量でカバーしたつもりです。でも、今振り返ると当時の私の練習の質では世界で戦えるレベルにはなれない。娘を見ていると練習の内容もしっかり考えているし、オフの期間はゆっくり休んでリフレッシュして気持ちを切り替え、体も休めている。自分で考え、自分で答えを探しながら歩んでいる。やはり、世界で勝てるだけのことをやっていると感じますね。

―――お二人が中央大学を選んだ理由は。

宏二 私はもう40年以上も前のことですが、中央大学のフェンシング部に憧れて入学しました。高校ではインターハイにも出場しましたが結果が残せずにいました。そのインターハイのトップクラスの選手も中央大学に入ったので、最初はその子たちと練習できるだけでも嬉しくて。そこで自分も強くなりたいと必死で練習して2年でユニバ代表に。中大とフェンシング部が私を伸ばしてくれました。

美咲 高校3年生の時に父と大学巡りをして、中央大学が一番「ザ・キャンパス」という感じがして(笑)、私のイメージしていたキャンパスライフを送ることができそうだなと思って選びました。大学のフェンシング部に女子が少なかったので、女子の歴史を作ろうという気持ちもありました。ただ、大学時代はナショナルチームに籍を置いていたので、部で仲間達と一緒に練習ができていないことやキャンパスライフをあまり謳歌できてなかったことが残念でした。

お二人が中央大学を選んだ理由は
宏二 私は多摩移転後の入学です。法学部の茗荷谷移転で今後のスポーツ選手獲得が心配だという声もあるようですが、美咲のように世界を目指す選手たちには、大学は都心にあった方がナショナルチームでの練習には都合がいいんです。
私の選手時代、そして引退後指導者になった頃は、日本のフェンシングはまだ世界ではメダルに手が届かない時期でした。しかし、外国から招いたコーチ陣らが日本フェンシング界を底上げしてくれ、日本のフェンシングは世界的にも注目されるようになったのです。2021年の東京オリンピックには中央大学のフェンシング部出身者から3人のオリンピアが出ました。ひとつの大学の部から3人が出ることはなかなかありません。それもこれも大学や卒業生たちの支援、強化プロジェクトによってできたことだと思いますし、今後も皆さまから応援してもらえるような実力、人間性を持った選手が出ることを期待しています。

日本フェンシング界、スポーツ界のために

―――今後についてお聞かせください。

美咲 私は大学卒業後、初のプロフェンサーになりました。プロを選んだことで、いい意味でのプレッシャー、責任感を人一倍持って取り組みたいと思えるようになりました。初ということで、まだ先人がやっていないことに自分が踏み出したことは、自分の自信にもなっています。
今年4月から来年3月にかけてはパリオリンピック出場をかけたレースが始まります。フェンシング発祥の地フランスで行われる五輪ですので、記念すべき場所で個人、団体共に金メダル獲得することが目標です。

宏二 私は、スポーツ指導、イベント開催、アスリート就業支援などを中心に「スポーツの始めから終わりまで」を総合的にサポートする会社を2016年に設立し経営しています。アスリートを応援し続けたいし、フェンシングの初心者から指導して、世界に通じる選手を育て上げることが夢です。まずはフェンシング人口を増やしたいですね。娘には世界で活躍して、日本のフェンシング人口を増やす起爆剤になってもらいたいです。

―――世界のフェンシング界から注目され続けるご活躍を期待しております。

2023年「和田静郎特別顕彰ミス日本」を受賞

―――特別顕彰受賞おめでとうございます。この賞は応募ではなく、社会的に活躍されている方へ、ますますの活躍を願って贈る特別な賞と伺いました。

2023年「和田静郎特別顕彰ミス日本」を受賞
美咲 ミス日本の関係者の方とお話した時に、「美しい肉体に美しい精神と強靭な意思が宿る」を念頭に選定されているとお聞きしました。私がこれまで目指してきたのが試合で結果を出すだけではなく、「人間力」を兼ね備えた選手です。今回選んでいただいたことで、目標としている選手像に少しずつ近づいているのかなと思うと、それが嬉しかったです。美しい肉体も精神も一瞬で作れるものではありませんし、そこに至るまでには相当の努力が必要です。私もフェンシングをしながら、努力を重ね続けることで、質の高いレベルへ到達できると実感しています。

宏二 以前、美咲は江村宏二の娘と言われましたが、今はどこへ行っても、私が「江村美咲のお父さん」と紹介されるようになって、ちょっとショックですけど(笑)。それくらい、試合の成績はもとより、私自身がフェンシングで目指していた以上のことを頑張ってくれています。日本のフェンシング界の中でも、世界選手権優勝など、娘がやり退けていたことは女性として唯一無二。初のプロフェンサーにもなりましたが、これも日本のフェンシング界の悲願でした。そして今回、ミス日本という賞をいただいた。これを機にフェンサー、フェンシングに興味ある子供たちが江村美咲に憧れ、江村美咲を目指してもらえるようなきっかけになるといいなと、今回はありがたく思っています。今回選ばれたミスの方々が、私たちと共通するのは「目標がある」こと。自分の目標に向かって徹底的に努力して取り組む姿勢は、スポーツ選手と一緒。それによって人として輝いていくんだと感じました。

白門人
江村 宏二 氏

(昭58経)
江村 宏二 氏
株式会社エクスドリーム・スポーツ 代表取締役

えむら・こうじ
大分県出身。高校2年生の頃、上京した際に偶然見たフェンシングに興味を持ち我流で始める。フェンシングが強い中央大学を志望し一般入試で入学。1988年ソウル五輪日本代表選手。種目はフルーレ。引退後は指導者として日本代表のコーチ、監督、JOCナショナルコーチを歴任。代表を務めるエクスドリーム・スポーツはスポーツ指導やアスリート支援を目的とした企業。

白門人
江村 美咲 氏

(令3法)
江村 美咲 氏
プロフェンサー

えむら・みさき
小学校3年生の時にフルーレを始め、12歳でサーブル大会に優勝し、同種目に転向。大原学園高等学校から中央大学に進学。卒業後の2021年に東京五輪出場、2022年7月の世界選手権女子サーブル個人で日本人の女子として初の金メダルを獲得。母の孝枝さんも1997年の世界選手権エペのフェンシング日本代表選手として出場経験がある。1998年生まれ。大分県大分市出身。

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