白門43会支部 第30回定時総会・講演会・懇親会の模様

  白門43会支部  

(定時総会の模様)
 白門43会の第30回定時総会・講演会・懇親会は2024年7月5日(金)、東京・上野の精養軒で開催されました。梅雨の真っ最中なのに東京地方は猛暑日の警報が出るほどの暑さでした。出席者はご来賓を含めて64名(うち女性7名)でした。今回の総会では清水会長が体調不良で欠席のため、清家春夫副会長が会長代行を務めました。定時総会の会場はこれまでと違う2階の藤の間で、横に長く、中に大きな柱が2本立っていて全体が見渡し難い部屋でした。

 会は小塚副会長の司会進行のもと、清家副会長が開会の挨拶ののち議長となって進められました。矢崎幹事長による2023年度事業報告、立岩会計幹事による2023年度収支決算報告と歌代監査による監査報告、続いて矢崎幹事長による2024年度の事業計画案、立岩会計幹事による2024年度予算案が提示され、いずれも異議なく承認されました。この中での特記事項は、来年2025年度は白門43会創立30周年となるので、そのためのプレイベントとして今年12月にはベートーベンの第九鑑賞会が開催され、来年5月には四国地方への記念旅行、7月には記念総会、その他記念誌の発行を行うことなどが紹介されました。またそのための寄付を募るのでよろしくとの話がありました。
 続いて役員承認の案が提示されました、副幹事長に清水利夫幹事、森澤正瑞幹事、新たな幹事として澤畑寛治氏、玉澤宏氏、地方幹事として神林俊晄氏、合津五郎氏が提案され、承認されました。この後新任役員は演壇前に出て紹介されました。以上で議事は滞りなく取り運び、予定より早く終了しました。

(講演会の模様)
 今回の講演の演題は「郷里鹿児島と幕末」で、講師は鹿児島県徳之島出身の正野建樹元会長でした。会場は同じ藤の間で行われました。以下、私が理解した概要を述べますが、拙い記憶を辿ってなので、正確を欠いているところもあるかもしれませんが、ご容赦願います。

 お話は西郷隆盛が中心でしたが、西郷隆盛が生まれたのは鹿児島城下の下級武士の居住地となっている加治屋町でした。70世帯ほどの小さな町なのに、幕末から明治に掛けて活躍した大久保利通、東郷平八郎、大山巌、山本権兵衛などそうそうたる人物が輩出されました。薩摩藩主の島津斉彬公から見出された西郷はお庭番として身近に仕え、やがて篤姫を徳川13代将軍家定の正妻とすべく、奔走することになる。このとき公家の近衛家の養女にしてから嫁がせる計画だったが、その際に骨を折ってくれたのは月照という僧であった。後に安政の大獄で月照も西郷も狙われる身となり、故郷の薩摩に身を隠そうとするが斉彬公はすでに亡く、藩主は久光になっていたので二人を匿うどころか暗殺しようと企む。計画を知った二人は錦江湾で船から身を投げ、月照はそこで絶命、西郷は助けられて生き残り、復活の機会を狙う。
 やがて時代は移り、西郷は徳川攻めの総大将として江戸城総攻撃を行おうとするが、すでに将軍家定公は亡くなっているので、人情家の西郷は何としても総攻撃の前に、自分が送り込んだ篤姫を救出しようと試みる。しかし一方の篤姫は、自分は輿入れしたときから島津とは縁を切り、二度と戻らぬ覚悟でやってきた、今は徳川の人間だから徳川と運命を共にする覚悟であるとして、西郷の申し入れを拒否する。
 江戸城無血開城ののち、戊辰戦争で奥州の各藩は新政府軍の攻撃を受け、敗れた会津藩などは過酷な処分を受けるが、領民から慕われていた庄内藩には寛大な処分が行われ、領地替えもなかった。それで庄内藩では南洲神社を建てて、その徳を偲んだという。
 この後お話は、山本権兵衛の逸話に移ります。
 後に総理大臣となる権兵衛は、海軍の将兵だったとき、品川の遊郭で、ときという遊女を見初める。妻にしたいと考えたが、彼は金を払って身請けするのではなく、強奪することを決心する。友人の手を借り、夜陰に紛れてボートを遊郭に横付けして強奪に成功する。その後遊郭側との話がついて妻に迎え入れることになるが、この時彼は妻に、今後何があっても離縁はしないことなどをしたためた誓約書を書く。妻に誓約書を書いて渡すなど当時は考えられないことだったが、彼はそれを実行し、生涯その約束を守ったという。あるとき妻が夫の乗船している船を見学に来て、船から桟橋に降りるとき、彼は彼女の履物を持って先に降り、桟橋で履物を揃えて待ったという。

(懇親会の模様)
 懇親会は3階の桐の間で行われました、宴が始まる前に全員の集合写真を撮りました。
 懇親会にはご来賓として、中央大学常任理事の塚原由紀夫様、中央大学学員会会長の久野修慈様、42年白門会幹事長の林直清様、白門44会支部長の吉永匡宏様、株式会社ノラ・コミュニケーションズの平方麗様をお迎えしました。

 懇親会は富田秀雄副会長の司会進行で進められました。最初に元応援部の小塚正人副会長のリードで「草のみどり」を斉唱しました。清家会長代行(上写真左)の挨拶に続いて、中大常任理事の塚原様(上写真中)と、学員会会長の久野様(上写真右)からご挨拶をいただきました。塚原理事からは中央大学の多摩キャンパスに新たに「スポーツ科学部」と「農業情報学部」が令和9年度を目標に新設されることになったことなどのお話がありました。久野会長からは若いころに南氷洋の捕鯨船や北方のサケ・マスの漁船に乗船したことなどの経験話の後、これからの少子化の時代に大学が生き残るために質の高い大学を目指して行きたいという抱負などが話されました。
 乾杯で宴が始められた後、遠方からの出席者と久しぶりの出席者6名の紹介があり、皆さんからひとことずつのご挨拶がありました。
 9つの丸いテーブルに次々に中華風の料理が提供されてしばらく歓談しましたが、皆さん久方ぶりの再会に話が弾んだようでした。

 今回のアトラクションは、古賀忠夫さんの率いる「八重洲オッターバ」の皆さんでバイオリン、ビオラ、チェロ、ベ ース、ピアノなど8名の人たちで、ピアノの女性は美しい歌も披露してくれました。夜来香、エデンの東、高原列車は行く、思い出のサンフランシスコなどが演奏されました。
 その後、有志による歌謡ショウがありました、出演は原田六生さん、富田秀雄さんと岡田孝子さん(デュエット)、玉澤宏さんで、皆さん自慢の喉を披露してくれました。

 宴は最後に、副幹事長の星野則昭さんのリードで、全員が肩を組みながら「惜別の歌」を歌い、矢崎幹事長の閉会の辞で宴はお開きとなりました。

【三沢充男】

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