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白門人(はくもんびと)インタビュー

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白門人(はくもんびと)インタビュー 第1回


社会に出てからこそ
強く感じる白門の“縁”


 このコーナーでは、各界で活躍する白門人(はくもんびと)の今をインタビューします。第1回目は、日本青年会議所(JC)2022年度会頭の中島土氏に登場いただきました。大学時代の様子、JC会頭としての活動、白門人へのメッセージなどを伺いました。

白門人とは01


日本青年会議所(JC)第71代会頭
中島 土 氏(平16経)


なかじま・つち
1982年生まれ。
2011年大分青年議所入会。
ジェイリース株式会社取締役副社長

ボディビルに明け暮れ
自分自身と向き合った4年間

――最初に中島さんの大学時代について教えていただけますか。

中島 ほとんどボディビルに明け暮れていました。大分での高校時代は3年間柔道部で、当時は体重が100kg超え。あまりにも太っているのでこのままでは青春を謳歌できない、モテよう!(笑)と思って大学生になってから痩せる目的でジムに通い始めました。するとトレーニング自体が楽しくなって、気がつけばボディビルにのめり込んだわけです。それでだんだん大会にも出たくなり大学にクラブを作ろうと。大学の正門前でチラシ配りをして15名ほど勧誘し、ボディビルのサークルを立ち上げました。中央大学トレーニングクラブです。今はもうないですけどね。それで、大学4年時に全国学生ボディビル選手権大会で個人3位になりました。当時、中スポにも取り上げていただきました。

――それならモテたでしょう。

中島 いいえ。学校とジムとバイトに明け暮れて、しかもボディビルクラブは男性の学生ばかりでしたから、結果モテないという本末転倒な結果でした(笑)。思えばあれは、自分のコンプレックスとの戦いだったように思います。それまでに、何かに本気で向き合って自分の力でなし遂げたという経験がなかったものですから、常に自分に自信がなくて。ところがボディビルだったら頑張ればいい成績も収められるという可能性が見えた。そこで4年間をかけたということですね。

――モテなくても(笑)、充実していましたね。

中島 実は、大分から一緒に東京に出てきていた高校の同級生と大学1年から付き合い始めて、そのまま結婚しました。

――それは好感度が上がる情報ですね。卒業後はすぐに大分に戻ってお父さんの会社へ?

中島 東京で3年働きまして、それから父が経営する会社に入りました。父も中央大学出身で、JCにも入っていました。

――「土」というお名前は珍しですね。

中島 わが社の祖業、祖父が立ち上げた会社が土木会社でした。土木はもうやっていませんが、そこから付けられました。ですから弟は「木」。父は祖父の会社に入り、そしてJCの活動もしていましたが、ある時期に「頼める保証人がいないために賃貸借契約ができない」という人が多いということを知り、JCの仲間と語り合って、その保証人の代わりをする仕事をはじめました。それが現在の当社で、ジェイリースとして設立されたのは2004年。ちょうど私が大学を卒業した年です。

本気で町のことを考える人たちと
幸せを生み出し続ける装置を創る

白門人とは01 ――JCに入会したのはお父様の影響ですか。

中島 はい、父から「入れ」と(笑)。そしてJCをやるからには3つの約束を守れと言われました。まず、JCはいろいろな機会をお前に提供してくるから、それを逃さずに全部に参加をしなさい。2つ目はメンバーとの間で人間関係がうまくいかないときが必ず出てくる。そのときに悪口を絶対に言うな。悪口はブーメランになって帰ってくるから、と。3つ目は金もないのに金持ちぶるな。自分の財布の範囲で一生懸命行動すれば必ず誰かが頑張りを見てくれている、と言われました。

――そもそもJCとは何を目的に活動している組織なのでしょうか。

中島 一言でいうと、人づくりと町づくりをする団体です。20歳から40歳までの青年が集まって、明るく豊かな社会を実現するため自分たちの町をどうするのかを徹底的に議論をして、いろいろな事業、運動を起す。そのプロセスで、社会に貢献するなどして人づくりが達成されるということです。北海道から沖縄まで684青年会議所があります。
 世間からは2代目、3代目のサロンと揶揄されることもありますが、JCは中に入らないと、どんなことをやっているというのがわかりにくい団体だとは感じます。正直私も、入会してはじめて、同世代にこんなに本気で町のことを考える人たちがいたんだということを知り驚きました。

――JC会頭の任期は1年と伺っています。単年度制にあってリーダーとして心掛けていることがあれば教えてください。

中島 偉そうに聞こえるかもしれませんが、野球に例えると全部三振でもひたすらバットを振るという感じです。とにかく毎日、全力で世の中のために、そして頑張っておられる全国のメンバーのために全力を尽くす。このことだけに必死に向き合っています。1年では、何をやってもルーティンに終わりかねない中で、何か装置を、仕組みをしっかり作って行きたいと考えています。

――例えばどんな?

中島 幸せを生み出し続ける装置ですね。単年度ではなく、長期に渡って投資する装置を作り上げなければならないと感じてきました。元々は私の失敗があります。大分青年会議所に入会して、4年目ぐらいに委員長の役割をいただきまして、大分で「人口減少社会を考える」という例会企画事業を行いました。市民の皆さんもいらっしゃるイベントで、集客もよくイベントとしては成功したんですが、結局1回ぽっきり。その1回でふるさとはより良くなったのかと冷徹な目で見た時に良くなっていないなという私の失敗があります。これを成功させるためには、どうすれば良かったのか。それには単年度を超えた装置が必要だな、と。その年度を超えた装置とは、中期のビジョンだと思ったんです。5年後10年後にこんな町を作りたいというビジョンがあって、そのビジョンからバックキャスティングで毎月のいろいろな事業が汲み上げられれば、単発で終わらないという仕組みが出来上がると思います。そこで、私も会頭の役割をやらせていただいている中で、全国の皆様に町のビジョン、中期ビジョンを作って、それが北極星のように燦々と輝いて、みんながそこに向かっていけるようにしましょうということを申し上げ、サポートをしてきたというところです。

ロシアやウクライナのメンバーからも得た
「奉仕」「自由」についてを伝えていきたい

――多くのことを経験されて、あっという間の1年でしょうね。まだ、任期が残っていますが、この1年を終えたときのことも考えられますか。

白門人とは01 中島 会頭として学んだことをしっかりと言語化して、全てのメンバーの皆様にお届けしたいなと思っています。JCの理念の一番最後に「人類への奉仕が人生最大の使命である」という言葉があるんですが、私なりに人類への奉仕って一体何なんだろうと考えてきました。そこが少しわかってきたというか。そのあたりも自分なりに伝えたいですね。
 以前は、ウクライナとロシアの戦争をちょっと遠い世界の話だと感じていた部分がありましたが、今年の3月に両国間で戦争が起こり、その3カ月後の6月にヨーロッパに行きました。そこでロシアの会頭と私で対談をさせていただいて、その後ウクライナの会頭とも対談をさせていただきました。そこで感じたのは、やはりそれぞれが国家を超えて友情を築いているんですね。ロシアからの参加者にはウクライナにルーツを持っているメンバーもやはりたくさんいて、今回の出来事をとても残念に思うというような発言もされていました。ロシアの会頭は女性で、いわゆる敵国であるヨーロッパにやってきて会議に参加している。「勇気ありますね」と申し上げたら、「私は何があっても祖国ロシアを愛しているし、このJCを愛しています。だから、私は勇気を持ってヨーロッパに来たんです」と。彼女は一体何を守るために頑張っているんだろうなと考えたときに、これは私たち青年会議所が最も大切にする価値観の「自由」を、命をかけて守ろうとしていることに気づきました。私なりにそういうメッセージを皆さんに届けたいなというふうに思っております。

派手さでなく本質を求める校風に共鳴
どんな組織も理念への共感が必要

――青年会議所の活動経験から、私たち学員会が若手学員に魅力ある存在となるためのアドバイスをいただけませんか。

白門人とは01 中島 どんな組織も、組織が掲げる理念への深い共感が大事だと思います。自分自身が腹の底からこの組織でこれをかなえたいという理念への共感が生まれれば、それがフックになってその人に掛かり続けるのではないでしょうか。
 JCの場合は、繰り返しになりますが、「町をより良くする」ということと、その「より良くする力を得るための機会を得る」。この2つがミッション、使命になっております。これに対する深い理解を全メンバーがもっと持つことができれば、今おっしゃってくださったように定着率が上がるという実感があります。

――なるほど。では、中央大学をどのようにご覧になり、どのような期待がありますか。

中島 私は、中央大学の校風の質実剛健に深く共鳴して大学を選びました。その校風を後輩の皆さんがさらに広げていっていただけたら、きっと日本も町もより良くなっていくだろうなと。決して派手さを求めるのではなくて、本質を求めていくことこそが中央大学の良さだと思います。学問の世界でも冠たる地位を引き続き強くしながら、スポーツの分野でも頑張り抜く学生さんをたくさん輩出し続けているというところに、一卒業生として感服しております。

――卒業してから白門のつながりを実感する機会がありますか。

中島 まさに、今(インタビュー時)、神奈川県小田原市で国際青年会議所の国際アカデミーという超巨大事業が開催されています。世界各国から次年度の会頭クラスの役職者が来日して、その方々とともに日本人メンバーがバディを組んで1週間合宿するという事業です。その最高責任者が3人います。私もその一人ですが、もう二人も中央大学の卒業生なんです。顔合わせをしたときに「大変な事業だけれども、白門の絆で頑張ろうじゃないか」と話しました。中央大学のつながり、白門の縁というのは、社会に出てからこそ強く感じるものだと思います。

――社会に出てからのつながりというのは嬉しいことですね。大学時代から、まさに本日の国際アカデミー開催の話まで、貴重な話をありがとうございました。

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