白門人(はくもんびと)インタビュー
各界で活躍する「白門人インタビュー」として、今回は後楽園キャンパス新1号館を施工する奥村組・奥村太加典社長に登場いただき、同社の経営理念や広報活動、母校理工学部への思いを、一昨年10月に「分野を超えた交流・連携の拠点」として開設された同社の新オフィス「クロスイノベーションセンター(通称:クロスアイ)」で語っていただいた。
新3K+Kで人材確保
―― 奥村組の経営理念である「堅実経営」と「誠実施工」は、中大の質実剛健の気風と通ずるところがありますね。 「建設LOVE 奥村くみ」シリーズという、ゼネコンとしてはユニークなCMを展開し話題となりましたが、どういった経緯でCMを制作することになったのですか。
奥村 ゼネコンの仕事はBtoBである上、公共工事も多く手掛けることから、これまで広告宣伝はあまり必要ないと考え、トラブル対応などの「守りの広報」に留めていました。しかし、関西では名が通っていても、全国では社名の前に「建設会社の」と言わないと奥村組が何の会社かさえもわかってもらえない。そこで、建設工事の発注は初めてという民間のお客様にも安心してお声掛けいただけるよう、そして優秀な人材が獲得しやすくなるよう「攻めの広報」へと転換し、積極的な広報活動に注力するようにしました。そのようななか、平成30(2018)年に大阪国際女子マラソンに協賛することを決め、その中継番組で放映するCMを制作することになりました。検討段階で、「建設一筋 建設バカ」の物語と「建設LOVE 奥村くみ」シリーズの2案に絞り込まれていました。私は前者が良いと思いましたが、先に言うとみんなが忖度しかねないので、まずは会議に参加する他の役職員に選ばせました。すると全員一致で「奥村くみ」の方に。私がこだわったのは、必ずクスッと笑えるオチをつけろと。関西の会社ですからね(笑)。おかげさまでCMは高評価で、関東における一般の方からの認知度も向上しました。
―― 奥村組の「攻めの広報」は大阪国際女子マラソンの協賛からということですか。
奥村 その少し前に、茨城県つくば市にある当社技術研究所の実用免震ビルを使った免震性能の実証実験のPRを広告代理店に依頼したことがきっかけです。当社技術研究所の管理棟ビルは、昭和61
(1986)年に竣工した国内第1号の実用免震建物です。竣工後概ね10年毎に建物を実際に揺らして免振装置の性能試験を行いマスコミに公開していました。当社としては力を入れ、自信を持って披露していたのですが、いまいち反響がない。そこで竣工後30年目の実験を行うにあたり広告代理店にPRを依頼したところ、建設とは無関係な様々なメディアも集めてくれて、多くの方々に実験を見ていただきました。そのおかげでテレビ、新聞、雑誌などに取り上げられ、大きな反響を得ることができ、広報は使い方によっては会社にとって大きなメリットになると気付きました。それで、これまでのやり方ではない面白い取り組み、広告代理店など外部の知恵も借りながら「攻めの広報」をやっていこうと決めたわけです。そんななか、大阪国際女子マラソンへの協賛という提案が持ち込まれました。
―― CM放映によって採用活動にも効果がありましたか。
奥村 「奥村くみ」シリーズのCM放映によって、奥村組の認知度は全国で上がりました。もっとも、今の学生はテレビを見ないので、就活生向けの広報はこのクロスアイのスタジオで制作したYouTube動画が主体です。広報活動により、新卒採用への応募者は増えていますが、その多くの反応が文系で現れ、直接工事の担い手となる理系に関してはまだまだこれからです。若い人材を確保するためにも、CMで認知度を上げるだけでなく、これまでの「3K(きつい、汚い、危険)」といったネガティブなイメージを払拭し、業界を挙げて「新3K+K」を目指した取り組みを推進していく必要があると考えています。新3Kは、「給料がしっかりともらえる」「休暇が取れる」「希望が持てる」、+Kは「かっこいい」のことです。もちろん、きつい仕事がすべてなくなるわけではありませんが、それを補って余りある「新3K+K」をアピールするべく、最新作の「奥村くみ」シリーズCMでは「新3K+K」を題材にしています。ちなみに、このCMは中央大学後楽園キャンパスで撮影させていただきました。
学生時代に社会を見る機会を
―― 学生時代から奥村組に入り、土木の仕事をすると決めていたのですか。
奥村 漠然と「卒業したら奥村組に入るのかな」と思いながらも、「本当にそれでいいのか」とも考えていました。振り返ると、私の学生時代は迷い道の中にいたような感じです。何をやりたいかがわからないし、どこかにパラダイスがあるんじゃないかって(笑)。4年生で土質の大家と呼ばれた久野悟郎先生のゼミに入れてもらったのですが、その時点で卒業に必要な単位が足りていなかった。そのため、実験などは一通り終えて単位取得は翌年、つまり1年留年することになってしまいました。暇があるからと、5年生の4月から夏の終わりまで、北海道の牧場に住み込みで働きました。子供の頃に見た西部劇の牧場のようなイメージを持って行ったのですが、現実は全然違う。乳牛ではなく肉牛の肥育をしているところで、仕事は大変でした。また、借金をして買った子牛を育てて出荷してもなかなか高く売れない。牧場経営の厳しさを目の当たりにして、世の中、自分が思うようなパラダイスなんてないのだと、覚悟を決めて奥村組に入ることにしました。
―― 中大理工学部の出身として、大学に求めることはありますか。
奥村 私の出身の土木工学科は、都市環境学科に名前が変わって偏差値がグンっと上がったと聞きました。今、優秀な学生が多数公務員になっているとも聞きます。私たちの頃と違って泥臭さがなくなったので、卒業して土木の仕事に就くと、ギャップを感じてしまう人も多いようです。私が学生の時も、中央道の恵那山トンネルの工事見学に行ったぐらいで、現場を見る機会は少なかった。土木の道に進むにしても、理系の知識を活かして公務員になるにしても、学生のときに現場見学などで実社会を見ることがとても大切だと思うので、大学はそういう機会をもっと作るべきだと考えます。
中大理工学部はとても実力があります。しかし、その実力が世の中に十分伝わっているかというと、そうとも言えない。理工学部に限らず、中大は広報下手な面もあるような気がします。関西でも関東でも、広報をうまくやっている大学が評価をどんどん上げ、学生を集めてレベルも上がっています。大学も私たち一般企業と同じく、やはり広報を重視し一層強化することが大事だと思います。
――中大も「攻めの広報」を標榜しZ世代を代表するラップアーティストのAuthorityさんを採用するなど新たな取り組みを始めており、「堅実」が「攻めの広報」に転じて成果を上げた奥村組の取り組みは大いに参考になりますね。ありがとうございました。
取材が行われた奥村組の「クロスアイ」は、東京駅丸の内南口前・JPタワーの22階。「先進技術や新規事業を当社クラスのゼネコンが全てを自社で開発するのは合理性に乏しい。社外と連携し、その時その時の先進的なものと連携していきたい。スタートアップ企業や大学、同業他社、さらに自治体などと連携した、まさにここが接点(クロス)となれば」(奥村社長)の考えから開設した。
https://www.okumuragumi-xi.jp/
今回建設された新1号館への思い
新1号館には、学生や学員がくつろぎ交歓できる見晴らしの良いラウンジがあります。勉強と実験研究の場が社会とうまくつながって、さらに充実した成果を出すことで、より社会から評価されることを願っています。
(昭61理)
奥村 太加典 氏
株式会社 奥村組 代表取締役社長
おくむら・たかのり
株式会社奥村組代表取締役社長、前・全国建設業協会会長。明治40(1907)年創業の奥村組の第5代社長。平成13(2001)年に社長に就任。同社は東証プライム上場で、在阪大手ゼネコンの1社。土木分野ではシールド工法に強みを持ち、建築分野では「免震のパイオニア」として日本初の実用免震ビルを完成させている。近年は「攻めの広報」を掲げ、認知度向上を目指した積極的な広報活動を展開している。
https://www.okumuragumi.co.jp/