困難を乗り越える力を
中大山岳部がつくってくれた

白門人(はくもんびと)インタビュー

 中大山岳部出身の猪熊隆之氏は山岳専門の気象予報士として日本のみならず世界の著名登山家から絶大な信頼を寄せられている。怪我や病気を克服し、良き仲間と出会いながら、山とのかかわりを続ける猪熊氏に、中大附属高校山岳部OBの学員会事務局・宮崎賢課長(平4理工)がインタビューした。

登山のための何かをしたい

―― ご講演お疲れ様でした。慢性骨髄炎の病を持ちながらのエベレスト登頂のお話は感銘を受けました。ここからは、起業の経緯や学生時代の思い出などを中心に伺いたいと思います。まず「山の天気予報」というビジネスは、どういうきっかけではじまったのですか。

猪熊 今から20年ぐらい前ですが、病気になり登山ができなくなりました。でも、登山のための何かができないかと考え、気象予報士の資格を取ることを考えました。当時、気象遭難が多発していたので、それを防ぐために「山の予報」を出す仕事をしたいと思ったのです。学生の時も富士山で滑落して大怪我をして登れなくなったことがありますが、若い頃でしたからまた登りたい、登るようになりたいという気持ちが強かったですが、そのときは入退院を繰り返す闘病生活を送ることになり、登るという選択肢はなかった。でも、山は好きで登山に関わり続けたいという気持ちは強かったんですね。
 ある時、以前から親しかった登山家の竹内洋岳さんが、私が気象予報士の勉強をしていると知って「予報士になったら、自分のヒマラヤ登山の予報をしてくれないか」と言ってくれました。その頃の私の頭の中には、日本の山の天気予報のことしかありませんでしたが、海外の山で予報のニーズがあることを知り、それがビジネスになるかもしれないと思いました。資格を取り、気象情報の配信会社に入りこの分野を本格的に始めましたが、勤めて4年たった平成23(2011)年に東日本大震災が発生。会社は震災からの復旧工事や放射能の情報提供していたのでそちらがとても忙しくなってしまい、山のことに専念するために専門会社として独立することになったわけです。
 もっとも、これがビジネスになるかどうかは半信半疑でした。というのも、私の感覚では当時の登山者はお金がないイメージで、みんなむさ苦しい格好しているし、天気なんかにお金を遣うのだろうかと。でも、最近は登山者も随分変わりましたし、「山ガール」のブーム以降裾野が広がりましたし、生死がかかるところではしっかりコストをかける。私自身は経営者としてまだ全然だめですが、仕事にはなっていますね。

―― 大怪我や病気など人生を諦めるような経験をされた伺いました。それでも山との関りを続けてこられた理由は何でしょうか。

猪熊 山に対する興味は子供の頃からあり、高校で山岳部に入りました。でも、すぐ辞めてしまいました。何か辛いことがあるとすぐ逃げてしまう、弱い自分があって、それは自分でも嫌なところでした。浪人中に身体も壊したりして、このままじゃまともな大人になれないのではないかと思い、やり直したい気持ちから大学で山岳部に入りました。大学の山岳部がどんなところかなんて知らずに入りましたから、本当に毎日辛かったです。毎日辞めたいと思いましたが、夜になるとここで辞めたら高校の時と同じだ、今日頑張れたんだから明日もう一日だけ頑張ってみよう、と。そんなふうにして続けて、夏合宿を終えるとなんだか心地良い充実感というか、自分がちょっと成長できたような気がして、それから楽しくなりましたね。同期がいい仲間で、彼らと一緒にやっていくのも楽しかった。2年生になる頃には余裕が出てきて、登山そのものを楽しめるようになりました。でも3年の時の滑落事故で大怪我をしてマネージャーに回りました。この登れなかった時期に、自分がいかに山が好きかがわかったんですね。
 高校時代のダメダメな自分を、いろいろなことに前向きになれるように変えてくれたのは山登りであり、それを教えてくれたのが中大山岳部です。その山岳部が、卒業後に創部70周年記念でチベットの7,000メートル級のチョムカンリに遠征隊を出すと聞いて、会社を辞めて参加させてもらうことにしました。怪我をした時に松葉杖を使いながら就活をし、それで入れてもらったとてもいい会社で、研修なんかも受けさせてもらったのに1年半で辞めちゃった。いま経営者をやっている自分からすれば、なんだこいつという感じですね(笑)。それからは山岳部のコーチなども引き受けていました。

 その後フリーターをしながら山に登っていたのですが、29歳の頃に体調が悪くなってしまい、このままでいいのだろうかと思うようになりました。フリーターをしていられるのも身体が健康だからこそで、そうでなくなったらどうなるんだ、とか。ちょうどその頃、山岳部で死亡事故があり、それを目の当たりにして学生が大きなショックを受け、何人かは退部しました。残った彼らを励まそうと一緒に海外での登山を再開しましたが、登っている時はいいのですが、戻ってから高熱が出るなど、体へのダメージはありました。それでも学生と一緒に6,000m峰に登頂し、ヒマラヤの8,000峰にも挑戦。天候に恵まれず、登頂はなりませんでしたが、学生にはいい経験になったと思います。その翌年、2003年には憧れのルートだったエベレスト西稜に挑戦。1,000mの氷雪壁を登り切って稜線に出ましたが、7,650mで断念。そのときの失敗が今回、エベレストに再び登ろうと思った理由のひとつです。
 その後、慢性骨髄炎を発症し、入退院を繰り返す生活に。山に登ることができなくなったのだから、長くやっていた山岳部のコーチは辞めたいと当時の監督に伝えましたが、慰留されました。ある日、今日こそは辞めようと思って、リーダー会に参加し、学生たちと会って飲みに行ったときに、あまりにも居心地が良くて「ああ、ここが自分の居場所なんだ。」と感じました。登れなくなっても自分は山と繋がっていたいんだなと。そして、山は自分を変えてくれたり、山仲間と巡り合わせてくれたり、絶景を何度も見せてくれたり、アドレナリンが出まくる岩壁を登って生きていることの楽しさを味あわせてくれたり、色々なものを与えてくれたことに気づいたんです。それでそのままコーチを続け、その後、骨髄炎が寛解してからは監督もやることになりました。

限界を知ることが大事

―― 「山の予報」はニーズもあり、ビジネスは成功されていると思います。これからの抱負などをお聞かせください。

猪熊 独立当初は、山の先輩や仲間たちがいろいろ助けてくれたり、ツアー登山を扱う旅行会社と契約したりしました。ツアー登山の事故があってガイドさんたちが天候判断に苦労されているときでしたから、そういう方に向けて情報を届けました。はじめは一般向けの予報は考えていませんでした。精度の良い予報を出すことで、登山者が天気図を見たり、雲を見たりして自分で天候判断をする機会を奪ってしまいかねないと思ったからです。しかしながら、私が発表しなくても将来的に山の天気予報を配信する会社は必ず現れると思いましたし、天気について興味を持ち、学習していただけるような情報を発信していこうと思ったことから、「山の天気予報」という一般登山者向けのサービスを始めました。登山ブームはいいのですが、天気図も見ずに登山する人がどんどん増えている。山の天気は予報通りになるとは限りませんし、想定しないことも起きる。そういう時に、五感を働かせ、どう対処するのかを判断することが大事です。今はリスクそのものを遠ざけるという世の中になってしまっているので、危険そのものを知らない人が増えています。これが一番危険で、そういう子は山岳部の学生にもいて驚くことがあります。そうこともあって、私たちは、プロ向けの山岳気象情報の提供のほか、全国各地での山の天気の講習会、自治体向けの防災の講習会、安全登山の講習会だけでなく、お子さん向けに「山の学校」という水道や電気、ガスが通っていない山奥の古民家で、自分で遊びを見つけ、生きていくための術を学んでいく教室を開催したりしています。それらはビジネスとして成り立つかどうかは未知数ですが、私の会社が企業理念として掲げている「安全への貢献」、「災害防止への貢献」、「地球環境への貢献」、「地域社会への貢献」に沿って、いろいろチャレンジしていきたいです。教育や環境問題、地球温暖化への対応といった社会にとって大切なこと、必要なこともぜひやっていきたい。もっともそれは政治の問題になるかもしれませんが。
 私が中大法学部に入ったのは政治家になりたかったからですが、政治家になるよりも政治の問題を市民としてどう関わっていくか、どうアプロ―チしていくかが大事だと、今は思っています。会社は信州にありますが、地元への貢献もしていきたいですしね。
 仕事の中心は天気予報ですが、予報は外れることがある。私たちは毎日毎日予報の結果を検証して反省会し、精度を上げる努力はしていますが、それでもやっぱり限界があります。でも一方で、限界を知るというのが大事なんじゃないかと私は思います。地球や自然のことですから、人間が全部それを分かるとか、AIがすべてできるとか、そうではないということを知ることも大切なのだと、私は考えるのです。

 昨年5月、エベレストに登頂。「エベレスト登山自体は誰でもできる時代となった」と語りながらも、人生での数々の困難を乗り越えてきたひとつの証でもあった自身の体験は、11月16日に多摩キャンパスで行われた講演で映像や写真とともに披瀝された。

多摩キャンパスで行われた講演
白門人
猪熊隆之氏

(平7法)
猪熊 隆之 氏
山岳気象予報士

いのくま・たかゆき
1970年、新潟市生まれ。神奈川県立平塚江南高校出身。日本初の山岳専門の気象予報サービス会社・ヤマテンを起業し、国内外の登山家に山岳気象情報を提供している。

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